精密板金加工の野村工業。レーザ切断・曲げ・溶接・仕上げまで、ワンストップでお客様の要望をカタチにします。

TEL
03-3801-1344電話受付時間: 平日 9:00~18:00


会社概要

代表挨拶

社長 野村時雄

社長 野村時雄

ようこそ弊社HPにお越しいただき誠にありがとうございます。
ここで弊社について少しお話させていただきます。

「継承」

弊社は昭和28年(1953年)3月初代社長野村健一が金属加工業として、創業いたしました。特に溶接に関しては他に真似のできない加工技術を確立し、さらに板金加工全般を得意する企業として成長してきました。初代野村は北陸富山から上京し厳しい修業を経て、野村工業はゼロからのスタートでした。その時の精神は「お客様を大切に、従業員と家族を大切にし、感謝第一。」「平凡は非凡なり。」この精神は今後も弊社として「継承」して行きます。

「革新」「創造」

弊社は二代目社長野村時雄と伴にオイルショック、バブル崩壊、リーマンショックを乗り越えてきました。その時の精神は「一番良い時に一番悪い時の事を考えて準備し、実行する。また一番悪い時にも一番良い時のことを考えて準備して、実行する。」を今後も実践していきます。また弊社は「最も強い者が生き残るのではなく、最も賢い者が生き延びるのでもない。唯一生き残るのは、変化できる者である。(ダーウィン)」の教えを信じ環境の変化に応じた企業の「経営革新」を今後も行っていきます。今後は南千住工場操業、AI,IoT,グローカル等に対応するための変化に積極的に取り組みます。またその「革新」の努力の中で野村工業らしい強みを磨き、オリジナリティ溢れる製品、サービスを「創造」していきます。そして、お客様と社員と社会に必要とされる企業をめざします。「山椒は小粒でもピリリと辛い。」ONLY ONE企業を目標に努力してまいります。どうぞ今後ともご愛顧程よろしくお願い申し上げます。


経営理念

経営理念
お客様、
社員さん、
社会さんの、
ありがとうを大切にする。6つのありがとう。
1)お客様へのありがとう。  (顧客貢献)
2)お客様からのありがとう。 (顧客満足)
3)社員さんへのありがとう。 (社員貢献)
4)社員さんからのありがとう。(社員満足)
5)社会さんへのありがとう。 (社会貢献)
6)社会さんからのありがとう。(社会満足)

会社基本情報

社名

有限会社 野村工業

所在地

<本社工場>

〒116-0002
東京都荒川区荒川1-52-1
電話03-3801-1344
FAX03-3801-4363

社長 野村時雄

<南千住工場>

116-0003
東京都荒川区南千住7-20-9
電話03-6806-7531
FAX03-6806-7532

社長 野村時雄

設立

1954年

資本金

5,000,000円

代表者

野村時雄

役員構成

野村 時雄(代表取締役社長)、長森 忠(取締役 本社工場 工場長)
長森 恭子(総務部 総務部長)、佐藤 貴規(南千住工場 工場長)

従業員

20名

事業内容

精密板金加工・レーザー加工、金属プレス加工 切削加工・溶接加工 等

所属団体

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組織図

野村工業 組織図 2017.1019

組織図

会社沿革

1952年

創業者 野村健一 が東京都荒川区荒川に野村工業を開業(溶接加工業)

1991年12月

有限会社 野村工業として設立。(資本金500万円)

2007年

野村時雄が代表取締役社長に就任。

2015年

東京都荒川区南千住に新工場を設立。

2016年10月

南千住工場にレーザー加工機、CAD/CAMシステム等を導入

2017年7月

取締役および組織編制での新体制スタート

2017年9月

荒川7S活動に参加し、一年の取り組みを報告。

2017年12月

ベンダー機を南千住工場へ移設。高率かつワンストップの作業が可能に。

2018年3月

ベンダー機を本社工場へ導入。

野村ストーリー

「溶接業から始まった、野村工業」

創業者 野村健一は 若いころから働きに行っていた溶接業の仕事を、東京の荒川区で独立し、野村工業を始めるも、鋳物溶接に特に腕が良く、近所や得意先からの評判もとても良かった。
大手船舶会社のエンジン部品の溶接のほか、冷蔵庫の網を溶接して作ったり、JR(当時国鉄)の切符のケースの製造、図りのナスカン部品などの溶接と、時代の成長とともに溶接は重宝がられ、実績と高評価を伸ばしていった。

創業者 健一は、よく女房を連れて出張に出かけていた。出張にはカーバイトの出張用タンクが必ず必要になる。
当時、溶接の仕事に必要な「ガス」は、自分でカーバイドを使ってガスを発生させ酸素との融合にて酸素溶接をしてきたのです。

長女恭子(現総務部長)が 小学6年生の時、自宅の隣にあった馬蹄屋さんの長屋の一番端を購入。当時のお金にして70万円。
(当時は千円札しか存在していなく、札束の厚みが7cmもあったとのこと。)

それから約2年後、溶接の仕事も大繁盛だった最中である。秋に伊勢湾台風の影響で水害の被害に合う。従業員の火の取り扱いミスで在庫のカーバイト一斗缶で約10缶分がガス爆発となり6件ほどを巻き込む火災となってしまった。1階大水、2階は火事となり近所にも大変な迷惑をかけてしまったが、創業者 健一は近所の方々へのお詫びと補償もしっかり行い、事業も取引先等に迷惑をかけることなく、再開することができた。この伊勢湾台風による大水からの火災の出来事は、今も野村工業の忘れられない深い記憶となっている。

長男時雄は幼少期から仕事が忙しければ何かしらの手伝いはさせられていた。青春時代は父とケンカしながらも懸命に働きつくしてきた。

昭和38年頃、取引先だった大手船舶会社の倒産や時代の流れなどの影響も乗り越え、事業を溶接から板金へと拡大し、今日に至る。